公営住宅に7年越しの補欠当選!記憶に残る逞しい母親の後ろ姿
母は強しと言われますが、まさに私の母も逞しくしっかり者です。
小学4年生の時に引っ越しの経験をしたのですが、その時の母の後ろ姿は特に印象深く、今でも目に焼き付いています。
皆さんが引っ越しを頑張って乗り越えられるよう願って、私の母の後ろ姿を語りたいと思います。
そのストーリーは私が3歳の時から始まります・・・
自立したい母の一念発起
私の母は、成人前に周囲の反対もある中の結婚だったため、貯金もする余裕なく我が家は2DKのアパートに、小2、5歳の妹と父の5人家族でした。
そんな中で母は私が3歳の頃から毎年公営住宅の抽選会に必ず応募していましたが、なかなか嬉しい報告がありません。落選のはがきが来るたびに、「また駄目だったよ、次こそは当たるといいね」と笑顔で言う母でした。
今思えば、経済的な不安がある中でそう言い聞かせては、自分を納得させていたんだろうなと思っています。
その頃の私といえば、新しいおうちに住める楽しみしかありませんでした。きっとその気持ちが母に伝わり、どうしても諦められなかった部分もあったかもしれません。
7年越しの補欠当選!
ついに私が小学4年生の時、待ちに待った日がきました。
その年の抽選会の後、今まで見たことのない笑顔で母が喜んでいました。私の母が応募していた入居抽選ではすぐに入居が出来る当選番号と、それに続き「空き室待ち」としてもらえる補欠番号がありました。この時、やっと補欠番号をもらえるまでの段階へ進めたことを知りました。
夢の入居!しかし協力してくれない父・・・
それからしばらくして、正式な入居が決定しました。元々父は家の事に無関心で、入居が決まったことに対しても反応はありませんでした。
父は好きな仕事を続け経済的な不安も他人事のように関わろうとしていなかったので、家賃が半分に減るくらいのことしか考えてませんでした。
どう説明しても関心を持たず、協力を煽ってもなかなか行動してくれない父に代わり、母が1人で住所変更や私たちの学校の手続き全てをこなしさらには、パートへも行っていました。そんな忙しい中でもいつも笑顔の母が本当に大好きでした。
どうしてもつらい時には、新居へと私たちを連れて行っては「この部屋には何を置きたい?」「新しい冷蔵庫買っちゃおうか?」と、一番はしゃいでいました。
引っ越しのタイミングも夏休みの最初の内に計画したのも、新しい環境に慣れてから新学期を迎えられるように考えてくれていたのだと思います。
転入先へも不安がなく行けるように、一緒に通学ルートを散歩してくれたり楽しく過ごせるように考えてくれました。
無事引っ越し終了、新生活へ
引っ越しは無事に終わることができ、新しいおうちに帰るのが楽しみで家族の時間も増えました。
元々社交的でもあった母は近所付き合いも上手く、あっという間に周囲の人とも打ち解け私たちが家の前の公園で遊んでいると、皆が声をかけてくれました。
それからしばらくして、小6の時には妹が増えました。その時に同じくらいの赤ちゃんを連れたお母さんと公園で知り合いました。聞くと上の階に住むご家族さんという事で仲良くなり、今でもその親交は続いています。
お母さんたちに伝えたいこと
公営住宅の抽選は、当たる人は何度も当たるし、当たらない人は何年も当たらないという現実が今でもあるようですね。
経済的に苦しい方は特に焦る気持ちがあるかもしれませんが、お母さんが元気にしていないと、子どもは敏感に感じ取るものです。期待しすぎずに、今の幸せに注目して家族仲良く過ごすことを大事にしていてください。
また、もしお子さんが引越しを拒否するようなことがあれば、きちんと向き合って話をしてあげて下さい。
実はあれだけ待ちに待った引越しでしたが、子供の時の引越しは友達と離れる不安が大きく、ケンカになることもありました。
でも、そのとき母はしっかり話を聞いてくれて、不安なことばかりじゃないことも教えてくれました。
今から引っ越し準備で頭がいっぱいで、まともにお子さんと話が出来てないと不安があると思います。私のように、嫌だと言う子どもさんもいるかもしれませんね。
でも、ただ「嫌だ」と言っている訳ではないと思います。会話をすることで気付く事や教えてもらえる事もあると思います。
ちゃんと話し合って、家族にとって新生活が明るく楽しい毎日の始まりになるようにしてくださいね。