小学生二人、夢の約束をして南国高知から東北へお引越し!
気候温暖な高知で、日の長さも味方に一日中外で駆けずり回っていた元気な小学生二人が、東北へ転居することになりました。
結婚後、私にとって3度目の引越しでしたが、転校を伴うのはこの時が初めてでした。
子供達の転校は私にとっていちばんきがかりだったことで、それが現実になってやってきました。
サッカー少年たちの高知での毎日
小学校がすぐ前だった高知の自宅からは、夕方校庭に照明灯がつくのが見えました。
転居後の私にとっては、ちょっと珍しいご近所風景でした。
毎日のように夕方になっても子供達の元気な声が響いていました。
高知ではスポ少が盛んで、毎日野球かサッカーの練習が行われていました。
息子たちはサッカーがやりたいと、その輪の中に入って元気に暮らしていました。
二男が小学生になってからは週に3度くらいは二人とも午後7時までグランドを駆けずり回ってボールを蹴っているという毎日、週末の試合の折には私たち親もチームのお世話や応援に駆り出されて・・・というより充分楽しんでおりました。
しかしここでの暮らしも3年も過ぎれば、転勤族はこの環境を失う時のことが頭に浮かびます。
それがいつやってくるのか、そして同じように次の行き先でもこの子たちを楽しく過ごさせることができるのか、なんとはなしの不安はいつも胸にありました。
南国から東北へ行く準備
長男が小4、二男小1の春、夫が福島県に転勤になりました。
いきなり南国から東北です。
内示を受けたのが2月の半ば過ぎだったので、私はすぐにデパートに向かいました。
まだ冬の洋服のバーゲンがあれば少し揃えたいと思ったからです。
ですが、高知のデパートにはすでに冬物は並んでいませんでした。
寒い冬を過ごす衣類は家にはあまりなかったから、ジャンバーやコート類、トレーナーではなくセーターがあればと咄嗟に思ったのですがすでに遅かったです。
そして今回は引越しイコール彼らの転校です。
家選びはすなわち転校する小学校につながります。
ここまで遠いと、見に行くことはできず、前任者が穏やかに暮らしていたその家をそのまま借り上げ社宅として私達も住むことになりました。
サッカーがまたできる?
二人に伝えた時、小学生ながら、自分の父親の仕事は理解していたと思うので、また引越しすることになったのだな・・・と仕方のないこととして受け止めてくれたように思いました。
当然なんで僕たちだけ?という疑問や寂しさもあったと思いますが、あまりそんな感情を表に出すようなことはありませんでした。
ただ一つ、サッカーがまたできるよね?と言いました。
うん、できるよ、と言ってしまった私でした。
サッカーはどこでもできるし、近くでできなければ隣校区のスポ少だって探せばいいと思っていましたが、確証はありません。
でもこんなときはできるよ!と言い切ってあげたいですよね。
送別会もりだくさん
高知の小学校はもちろん、サッカー部でも子供達を温かく送り出そうとしてくれました。
お別れ遠足まで企画してくれたので、私はもう梱包してしまっていたお弁当箱をダンボールから探し出し、一生懸命お弁当を作って二人を遠足に行かせました。
子供たちはさみしい気持ちと共に、みんなが自分たちのことを大切にしてくれていることを喜んでもいたと思います。
転居数日前の終業式、二人が一緒に高知の学校に登校する最後の日だと思うと、胸がいっぱいで私はカメラを持っても目が潤んでしまいましたが、傘をさした二人が笑顔で振り返って私に手を振って出ていった光景は今でもまぶたに焼き付いています。
読売ランドで会おう!という約束
終業式から数日後、私たちは高知空港で出発便を待っていたら、サッカー部の監督さんが子供達をたくさん連れて見送りに来てくれました。
輪の中心に息子たち。
話は「次は読売ランドで会おう」と。
読売ランドは、当時小学生のサッカー全国大会の開催の場所だったのです。
子供の夢の素晴らしさに少し離れたところで、涙、涙の私でした。
福島ではサッカーをする環境に恵まれていなかったこともあり、子供たちはそれぞれ別のスポーツの世界に入っていき、残念ながら読売ランドでの再会の約束は現実にはなりませんでしたが、夢がどんなに素晴らしいかということを教えてもらって、私たちは東北へ行きました。