引越しで神棚を運ぶなら 私の記憶に残る父と紫の風呂敷
これは、私の記憶に残る限り初めての引越し時のお話です。当時7歳の私は、京都から知らない名古屋に行くという不安でいっぱいの引越しでしたが、不思議と紫の風呂敷に包まれた荷物の印象が強く残っています。中身は神棚でした。
今改めてその印象の理由をひも解いてみると、引越しというイベントが人の何をあぶりだすのか、当時の家族をまとめる父の気持ちはどんなだったか、いろんなことが見えてきました。
父のお告げ「名古屋に引越すぞ」
私は、京都で生まれて、七才まで京都ですごしました。
親にいわせると、京都で七回も引越したそうですが、それはみな、ものごころつく前のことなので、覚えていません。
はっきりと覚えているのは、京都で最後に住み暮らした場所。そこは、下鴨神社にほど近い住宅街で、鴨川にも歩いてすぐに行けました。
京都の下鴨神社に近い住宅地……というと、今ではけっこう高級住宅街になっていますが、私が住んでいたのはもう半世紀も前のこと。年がばれますが、1950年代の後半で、まだところどころ「戦後のバラック」が残っている時代でした。私の記憶では、周囲の家もそんなに立派なものはなく、どちらかというと下町風の地区だったように思います。
私は、この、鴨川と下鴨神社の糺の森(ただすのもり)にはさまれた、市街地にしては自然の豊かな場所で七才まで育ったのですが、小学校にあがって数ヶ月たった頃、突然、名古屋に引越すぞ、という父の言葉を聞いて、もうホントにビックリしました。
名古屋……といっても、七才の子供に具体的なイメージが湧くはずもなく……今まで一度も訪れたことのない、まったく知らない街に行く……当時の私には、それは、わくわくするというよりも、不安の方がはるかに大きい「父のお告げ」だったと思います。
子供なりの引越しに対する感情の高ぶり
京都を去る、その前の日くらいだと思いますが、ようやく慣れた小学校に別れを告げるその日、私はなぜか、体育館の中で、両手を広げて、「飛行機だ~」と言って走り回っていたのを覚えています。
なぜ飛行機の真似をしたのだろうか……それは覚えていないのですが、もうこの体育館を見ることもないのだ……と、子供心に、なにかせつない気持ちになったのは今もよく覚えています。
友人の顔も、先生の顔も、きれいさっぱり忘れてしまいましたが、この「飛行機ごっこ」が記憶に残っているというのもふしぎです。なにか、自分の中で、感情の高まりみたいなものがあったのでしょうか。
そういう、私の感傷みたいなものも「引越し」という否応のないものごとの進行の中に置き去りにされ、私たちは東海道線に乗って、なにも知らない土地、名古屋に向いました。
今ならおそらくマイカーに乗って……というところなのでしょうが、当時は、自家用車を持っている家庭などほぼ皆無で、荷物はトラックで送って人間は鉄道かバスで移動というのが相場でした。
私たちも東海道線に乗って2時間少々の旅……当時は、急行「比叡」という列車があって、それに乗ったと思います。むろん新幹線などはまだ影もかたちもなく、京都ー名古屋間は、この「比叡」がいちばん便利だったと記憶しています。特急列車もあったと思いますが、みんなこの列車を利用していました。
紫の風呂敷に包まれた神棚と父の気持ち
京都から名古屋に向かうと、ほぼ半分くらいのところで関ヶ原を通ります。米原を過ぎてしばらくすると、進行方向左手の車窓に伊吹山が見えてきます。
この山は実に印象的な姿で、名古屋ー東京間の車窓に見る女性的な富士山とは対照的に、全体がゴツゴツした岩山のような印象。無骨きわまる男性といったイメージでしょうか。特に、冬に雪をいただいた姿は荘厳で、ヤマトタケルがこの山の神である白い猪に致命的な傷を負わされたという古事記の話がリアルに感じられます。
今は、新幹線で一気に通過してしまいますが、当時は、伊吹山が車窓にゆっくり近づいてくると、なにかしら心が引き締まってちょっと厳粛な気持ちになったものでした。
私が意識してその光景を見たのは、おそらくこのときがはじめてだったと思うのですが……そのとき、私の視線は、父の膝の上に載せられた紫の風呂敷に包まれたものに、なぜかひきつけられました。
それは、神棚でした。父は、当時、京都で少しは知られていた神道系の方の集まりに参加していて、そこでこの神棚をもらったらしいのですが、両親は、朝晩、この神棚を熱心に拝んでいました。
今、うちの中でいちばんの特等席にあったあの神棚が、父の膝の上で、急行比叡の振動とともに揺すられている……父は、この神棚だけはトラックの荷物と一緒に送る気持ちにはなれなかったのでしょう。
神棚は、家具ではなく、むろん物体でもない。それは、家族ではないものの、しかし引越しの際には家族と一緒に電車に乗る、なにかふしぎな存在……私は、このとき、人の気持ちはふしぎだなと思ったのを覚えています。
引越しの語るもの
引越し……それは、人にとって、なにが大切で、なにを守りたいか……それが、ある程度あからさまになってしまう機会だと思います。モノを捨てるのが苦手で貯めこむ人も、引越しとなるとどうしてもいくらかは処分しなければならない。そのとき、人は、もしかしたら自分の「今までの心」と対面するのかもしれません。
自分が今までだいじにしてきたものはなんだったのか……逆に、だいじだと思っていても、実は手放すことのできるものも見えてきます。私自身は七才だったので、自分が執着するものがあったのかどうかは覚えていないのですが、父の膝の上にしっかりと抱かれて家族と共に移動する紫の風呂敷だけははっきりと記憶の底に刻まれています。
もしかして、トラックの積荷はなにかの事故で壊れたり燃えてしまったりするかもしれませんが、この神棚だけは……そこまでの思いがあったのかどうかは知りませんが、膝に置いた風呂敷をしっかり両手で抱える父の姿には、これから赴くことになる新天地で、自分たち家族の運命を守ってほしいという切なる願いもこめられているように感じられました。